たまには真面目な話

2010年05月11日

U.N.エージェント

n_715cftd273rplU.N.エージェントというフランスのTVドラマ?というか映画を観ました!
TVドラマらしいんですけど、90分もあればね〜
映画としても十分な見ごたえでした。

DMM.comの解説によると
「1995年、混迷を深めるボスニア・ヘルツェゴビナ情勢。孤立した都市スレブレニツァの住民たちにつぎつぎに襲いかかる残酷な現実とは…。『いのちの戦場』のブノワ・マジメル主演で贈る戦争アクション。」
とのことですが・・・
間違えてもアクション映画ではありません。
説明書いた人は観ていないんじゃ・・・
パッケージのような戦闘シーンはありません。

ボスニア紛争のときのセルビア人による、ムスリムに対して行われた民族浄化(忌まわしい言葉です・・・)を主人公が国連から派遣されて調査するお話。
警察官?の主人公が、虐殺を行った証拠を裁判をするために集めるんです。
その過程で、本当に酷い、現実に行われたことが映像で再現されます。

数千人のムスリムの男性が虐殺された事件を調査するんですが、
「ヨーロッパでは第二次大戦以来の惨事」
という風な事を言われ、
「ほんの15年前に恐ろしい事があったんだなぁ」
と風化しかける記憶を呼び覚ましてくれました。

つい先日まで知り合いだったセルビア人。
「旦那さんの同僚だった」
「旦那さんの教え子だった」
というセルビア人が、ムスリムを誰彼かまわず連れ去って行きます。

男性は虐殺し、女性をレイプし。
レイプされて首を吊った女性の写真を持ちながら、主人公は捜索を続けます。
最後は何人かの虐殺犯が逮捕され裁判へ。

私がセルビア人でその場にいたら・・・
拒否できたんだろうか?

私がムスリムでその場にいたら・・・
家族を守れるんだろうか?

日本にはあまり関係無いようにも思うかもしれませんけど。。。
関東大震災のときには、流言蜚語で朝鮮人が多数殺されています。
狂気が支配する中で、どれほどの平常心を保てるのか・・・
心もとない気がします。

色々考えさせられつつ、興味深く観ました。
ハリウッド映画のように、最後は英雄的にアットホームに終わらない。
あまり救いのない映画かもしれません。

kochiya_blog at 13:10|PermalinkComments(21)TrackBack(0)

2010年01月19日

ハイチの地震

681s
数日前のニュースですが、だんだん被害状況が明らかになってきました。

死亡者は数万人から10万人を超える可能性もあるそうですね。

現地で治安維持にあたっていた国連軍の司令部の映像を見ましたが、完全に瓦礫の山になっていました。
軍隊の司令部があるくらいだから、きっと丈夫な建物なんだと思うんですよねぇ。
司令官も死亡したそうで、被害の大きさがわかります。


で、
「募金しよう!」
と思い立ちました。
街頭募金は
「なんだか怪しい・・・」
と思ってしたことないんですけどね。

「日本赤十字ならちゃんとハイチに届くかなぁ」
と思いまして。

子どもがおなかをすかせている写真は見てられないです。

募金受付は2010年2月12日までです。
日本赤十字:(速報)ハイチ大地震(赤十字の活動報告)
日本赤十字:ハイチ大地震被害の救援金を受付けます(銀行経由)
yahoo!!経由日本赤十字:ハイチ地震救援金(yahooポイントも寄付可能、クレジットカードで寄付可能、1口500円)


まぁぬくぬくした環境からできることって、これくらいですね。


過去記事:日本赤十字社から返事がきました。
過去記事:日本開港150周年記念


ちなみに写真は、yahooで募金するとダウンロードできる壁紙。
他にも種類あります。

欲しい人は募金しましょう!
クリックしても大きくなりませんよ(笑)

kochiya_blog at 12:16|PermalinkComments(24)TrackBack(0)

2010年01月16日

高齢者の負担

1945年に第二次世界大戦が終わりました。
今年で65年経過したわけです。

当時15歳の人が、いま80歳。
当然ですね。
お年寄りにも、若い人にも同じ時間が経過していきます。

終戦直後に15歳の若者も、いまでは立派なおじいちゃん。
戦場に父や兄を送って、戦死しているかもしれない。
空襲で母や兄弟を亡くしているかもしれない。
戦後の混乱で、栄養失調などで家族を亡くしたかもしれない。

その悲しみを乗り越えて、戦後の復興に勤めてきたはずです。

空襲の遺体を片付け、瓦礫の山を片付け、食料不足で田舎へ買い付けに行き、ビルを建て、道路を作り・・・・
書くときりがないのでこのへんで。

高齢者への配慮が足りないと思うんですよねぇ
お金持ちかも知れないけれど、それは一握りだと思うし。


私の祖父母は健在です。
でも介護のデイサービスを受けていて、月に10万円くらい払っている。
年金などの収入がいくらあるのか知らないけれど、10万円も毎月払っていたら・・・


うちのじいちゃん、86歳。
終戦時は21歳。
某社会インフラ企業に勤めていたので、戦後復興に尽力したはず。
じいちゃんの兄、仏壇に海軍の制服らしき服装で写真に収まっています。
詳しいことは話したがらないので、聞いたことは無いけれど。
南方の戦地で若い命を散らしたらしい。
高校生のような初々しい誇らしげな表情の写真。。。


そこまで国のために働いて、なんで気楽な老後を過ごせないんだろうね。
誰がこんな社会にしたんでしょう。

昔と比べることに意味は無いとは思うけれど・・・
日本は良い方向へ向かっているのでしょうか。



過去記事:おじいちゃんおばあちゃんからの言葉?
過去記事:終わりと始まり


kochiya_blog at 06:31|PermalinkComments(8)TrackBack(0)

2009年09月11日

友人の死を悼む

とあるブログを読んで以来、昔に事故で亡くなった友人のことが頭の中を駆け巡っています。
以降、独り言の吐き出し。

高校を卒業して専門学校へ入学。
すぐに仲良くなった友人。
けっこう年齢にばらつきのあるその学校、同い年で同じ千葉県出身。
すぐに仲良くなりました。

彼は、同じ千葉県とはいえ房総の漁港のある街から通っていて、通学に3時間くらいかけていた。
ほぼ始発に乗って、毎日学校へ。

おバカキャラの朗らかな性格だけれども、勉強熱心。
「卒業したら海外青年協力隊に行く!」
と言っていました。

そして学校が終わると、毎日のようにマージャンやって、酒飲んで、たまに神保町の古本屋街をそぞろ歩いて。
いつも12時間以上いっしょにいた。

歌が好きで、酒が好きで、キャメルを吸っていた。
どんな曲が好きだったのかは、忘れてしまった。
(私は音楽に興味が無い)
マイケルジャクソンをカラオケで歌っていたのを覚えている。
欧陽菲菲のラヴイズオーバーも歌っていた。

まだ、顔も覚えている。
お地蔵さんのような、丸い顔で、目の細い、優しげな顔でした。
坊主頭で、キャップをかぶり、カーゴパンツが大好きで、ワークブーツをいつもはいていた。
背は180くらいで、俺よりも高かった。
ぽにょぽにょしたお腹で、体重は不明。

そういえば、
「夏休みに遊びに行く」
って約束していたけど、行かなかったね。
せっかく海が近いのに。
夏休みは、まだ元気だったのに。。。


命日は11月13日。
私が中学時代に大好きだった女の子の誕生日。
そう、お前とは知り合って半年しか経っていなかった。

その日は御茶ノ水で、古本屋に行ったあと。
地元の友達から飲みに誘われて、早く帰った。
御茶ノ水の坂の途中の公衆電話。
遠距離だから、テレホンカードがみるみる減って、テレホンカードを貸したのを覚えている。
「わりぃ、地元で飲みに行ってくる」
というような言葉が最後かなぁ。

そうその日の晩に、飲酒運転の友達の車に乗って、なんでもない直線道路で。
人の家の塀に衝突して、放り出されたらしいね。
お母さんが事故現場へ案内してくれたよ。

未成年の飲酒運転で、保険からなにから、全部おりなかったらしいね。
「1人息子だからって、色々な保険に入れたのに」
ってお母さんが言っていたよ。
婦人警官をやっているお姉さんに迷惑かけただろ。
4人兄弟の末っ子で、やっとできた男の子。
ご両親を悲しませただろ。
お父さんは、漁でアルゼンチンにいて、お葬式にも出られない。
地球の反対側で、息子が死んだって聞いて、どう思ったんだろう。
お父さんと最後に会ったのは、いつだったんだい?

お通夜の終わったあと、お母さんと話をしたよ。
何を話したのかは、忘れてしまった。
ただ、話を聞きながら、ずっと大泣きしていたのを覚えている。


そうそう、亡くなったあとは毎年お墓参りに行って、家にもお邪魔して。
必ずお母さんは、美味しい魚をご馳走してくれて。
俺の家には干物とかが届いていたよ。
形見分けでもらったお前の服は、どこにいってしまっただろう。

ここ何年も行ってないね。
結婚前にいまの嫁さんと行ったのが最後。
もう10年近く行っていない。
お母さんへの結婚の報告は、葉書でしたけれど・・・・
子供ができたことは、なんとなく言いづらくて。
そしていつしか疎遠になっていた。

2.3年前に、家族で鴨川へ旅行に行ったとき。
寄ろうと思ったんだけど、家は留守で、子供が大泣きしていたからお墓には行かなかった。
「早く帰る」
ってずっと泣いていたんだよ。

もう、電話番号も忘れちゃったよ。
もう、住所も葉書の山をひっくり返さないとわからないよ。
でも、家もお墓も覚えている。いまでも行けるよ。
お前は知らないかもしれないけれど、お寺へ行く道がすごく狭いんだよ。


下の子が大きくなったら、必ずいく。
今度は、子供が泣いていても、必ずいく。
昔みたいに、キャメルのタバコをお墓に供えるよ。
海が見える、緑に囲まれたお墓に行くよ。

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2009年09月10日

タスポはなぜ広がらないのか

taspo持ってますか〜!

持ってません。

なんで?

説明すると長いよ〜
それはね・・・・


「自動販売機では、タスポを持っていないとタバコを買えなくなります。
タスポ作ってください」
って言われても、何もメリットないじゃん。
「自販機でタバコ買えます」
って、いままで買えていたのに。

タバコを買うためだけに、なんでそんなものが必要なのか。
他にも使い道があるのなら、考えますが。
駅の売店とコンビニで十分です。

そんなに未成年の喫煙を減らしたければ、自販機でのタバコ販売をやめちゃえばいいのに。
私はタスポ導入以降、ずっと駅売店とコンビニ。
たま〜に不便だけど、タスポを作るほどではないかな。
タスポを作ると、負けのような気がしてます。


どうしても自販機でタバコの販売をしたかったら・・・・

クレジットカードでしか買えないようにしてしまえばいい。

タスポ事務局の運営費は、年間数十億円になるそうです。
タスポ対応自販機の開発・設置、広報費でいままでいくら使ったのでしょう?
1,000億円はつかったんじゃないの?

クレジットカード会社に
「100億円あげるから、年齢認証システムをカードに付けて」
って頼めばやってくれそうです。
そしたらお酒の自販機もエロ本の自販機(まだあるの?)も使えるのに。

単価低いから、クレジットカード会社はやってくれないかな??
そしたら、電子マネーで。


電子マネーやクレジットカードがこれだけ氾濫しているのに、タバコを買うしか能の無いタスポ。
遠からず消える運命だと思っています。

kochiya_blog at 13:58|PermalinkComments(3)TrackBack(0)