いつも欠かさず持ち歩いているものは?友人の死を悼む

2009年09月11日

江戸切子製作風景

割付粗摺り

石掛け磨き

たまには、仕事に関係あることを書かないと・・・・

江戸切子の製作風景です。

まず左上。
<割付>という工程で、簡単に言うと目印をつけています。
次に右上。
<粗摺り>、ダイヤモンドホイールで大まかなカットを入れていきます。
そして、左下。
<石掛け>、カット面を整えます。うまくやらないと、仕上がりに影響します。
最後に右下。
<磨き>、まんまですね。木盤・コルク盤などに磨き砂をつけて、仕上げに布製のハブ盤というものも使って、磨いて完成!

本来であれば、割付と石掛けのあいだには、カットの工程がたくさんあります。
カットの幅・深さによって、ダイヤモンドホイールを次々に替えていきます。

以上が、とっても簡略な江戸切子製作の現場レポートです。


ここから江戸切子Q&A

「彫刻刀みたいなもので削っているんですか?」
と聞いてくる人がいます。
硝子は彫刻刀では削れません。
カット面がギザギザになってしまうか、衝撃で割れてしまいます。

「ダイヤモンドホイールなんか使って、手作りじゃないんじゃ・・・・?」
っていう人もいます。
でも、明治時代にはこのような製法だったのですよ。
マシーンでカットするところもありますが、この場合は1日にできる数の桁が違います。
(そしてマシーンカットは江戸切子ではないです)

「1日に何個ぐらいできますか?」
これはよく聞かれます。
値段によって違うのですが、細かいカットのものほどできあがり数量が少なくなります。
少ない出来上がり数で職人さんがご飯を食べなくてはならないので、値段も高くなります。
あまり答えになっていませんが、一概に言えるものではないのです。


utamaroここから江戸切子の歴史ダイジェスト版

江戸のガラス工芸の歴史は、1700年初頭から始まります。
浮世絵にも描かれているように、比較的庶民にも親しまれていたようです。

そのなかでさまざまな硝子への装飾技法が発展していきます。
江戸切子が誕生したのがようやく江戸末期。
当時は透明な硝子にカットをしていたようです。

明治の文明開化で西洋の技法を取り入れ、明治以降はほぼ変わらずにいまへ伝わっています。

明治維新・関東大震災・第二次世界大戦をのり越えて伝わる<江戸切子>。
庶民のあいだで始まり、愛されてきたからこそ、途絶えることなく伝承されているのかもしれません。

ちなみに・・・・
薩摩切子。こちらは、薩摩藩主島津斉彬の手厚い保護の下で製作されておりました。
薩摩藩の贈答品に使われたので、手間暇を惜しまずに最高級品が作られておりました。当時の作品は、基本的に美術館以外では見ることは出来ません。
薩英戦争の戦火の後、島津斉彬の死去もあり復興されること無く昭和を迎えました。
1990年頃に鹿児島県民の熱い要望により、県の支援の下で150年ぶりに復興しております。

江戸と薩摩。
遠く離れた地で花開いたガラスのカット技法。
庶民と藩営の違いで、歴史も変わりました。
庶民のパワーを感じますね。


ん?
あの浮世絵ですか?
喜多川歌麿<びいどろを吹く娘>です。


アットクレオ江戸切子が欲しくなってしまった人は、私の勤める会社アットクレオのHPで販売しておりますよ。

どうぞどうぞ、遠慮なく。
たまには営業しないとね!

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この記事へのコメント
1. Posted by うみ   2009年09月11日 15:36
大変だけど
繊細で素敵なお仕事だね


浮世絵。。。ほっぺん吹いてるんだよね
前におみやげもらったけど
華奢にできているから
すぐ割れちゃった
2. Posted by こちくん   2009年09月11日 16:07
私は作ってないですよ。
念のため・・・

そうそうぽっぺんです。
長崎などでは、お土産屋さんで売っているみたいですね。
日本の近代ガラス工芸は、ポルトガルから伝わった長崎から始まっています。
3. Posted by BOSS   2009年09月11日 16:54
5 いろんな仕事がありますね。

4. Posted by くろこ   2009年09月12日 17:48
はじめて作り方知りました。

何度見ても良いですね!
今、売上いまいちだからなあ〜!

儲かったら、購入してみようかな??
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