2009年05月

2009年05月29日

終わりと始まり

5月もおしまい。
まもなく6月です。

アットクレオ(株)、去年2008年7月1日から始まりました。
6月ラストスパートで、初の決算です。

さまざまな問題もあり、良いこともあり。
気づいたら1年がもう目の前。

ちょっと感慨深いものを感じながら、誰かが言っていた
「物事の終わりは次の始まりでしかない」
という言葉がチラつきます。
まぁ、1年目が終わらないと2年目は来ないので。

日本経済、世界経済が大変だったCreoの2008年度。
初年度から大騒ぎです。
どんな決算になるか、いまから楽しみです。
(私は初めてのことは、たいていのことを楽しめる性格してます)



「終わりと始まり」で検索したら、こんな詩が出てきました。

 
終わりと始まり

 戦争が終るたびに
 誰かが後片付けをしなければならない
 物事がひとりでに
 片づいてくれるわけではないのだから

 誰かが瓦礫を道端に
 押しやらなければならない
 死体をいっばい積んだ
 荷車が通れるように

 誰かがはまりこんで苦労しなければ
 泥と灰の中に
 長椅子のスプリングに
 ガラスのかけらに
 血まみれのぼろ布の中に

 誰かが梁を運んで来なければならない
 壁を支えるために
 誰かがガラスをはめ
 ドアを戸口に据えつけなければ

 それは写真うつりのいいものではないし
 何年もの歳月が必要だ
 カメラはすべてもう
 別の戦争に出払っている

 橋を作り直し
 駅を新たに建てなければ
 袖はまくりあげられて
 ずたずたになるだろう

 誰かがほうきを持ったまま
 いまだに昔のことを思い出す
 誰かがもぎ取られなかった首を振り
 うなずきながら聞いている
 しかし、すぐにそばではもう
 退屈した人たちが
 そわそわし始めるだろう

 誰かがときにはさらに
 木の根元から
 錆ついた論拠を掘り出し
 ごみの山に運んでいくだろう

 それがどういうことだったのか
 知っていた人たちは
 少ししかしらない人たちに
 場所を譲らなければならない そして
 少しよりもっと少ししか知らない人たちに
 最後にはほとんど何も知らない人たちに

 原因と結果を
 覆って茂る草むらに
 誰かが寝そべって
 穂を噛みながら
 雲にみとれなければならない


ポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの作品。(1996年ノーベル文学賞受賞)沼野充義訳。
ポーランドってつらい歴史がいっぱい。
そんな思いが綴られているんでしょうか。

始まりも切ないですが、終わりも切ない。

いま北朝鮮問題で騒いでいますが、
「なんにしても戦争はよくないなぁ。」
と思いました。 

先制攻撃で問題解決?
そんな終わりと始まりは誰も望まない。
と信じたい。 

at 17:22|PermalinkComments(0)TrackBack(0)心の内面? 

2009年05月27日

目には青葉 山ほととぎす 初鰹

青葉目に青葉 山ホトトギス 初鰹

とも言いますが、<目には青葉>が正解のようです。

山口素堂という江戸時代の俳人の作品。
解説には、視覚・聴覚・味覚で初夏を感じている名作。と書いてありました。
確かに言われてみれば、そうですよね。
教科書にも掲載されるわけです。 

昨日の晩御飯のおかずは、初鰹でした。
実家でもらったらしいのですが、白い磁器の角平皿・南天の葉っぱの上に盛られていて、この句の情景が浮かびました。

白い磁器と南天の緑、カツオの赤のトリコロールが目に鮮やかです。
南天の葉っぱは、嫁さんの発案なのか母なのかは不明ですが、素敵な演出です。(たぶん母だと思う) 
南天とカツオで縁起もよさそうです。

写真を撮ろうか迷いましたが、帰りが遅かったせいで家族が食事をした後の残り物。
ブログにアップするわけにもいかないので、断念。
とっても美味しくいただきました。 

戻り鰹のほうが美味しい。
とか言う人もいますが、
目には青葉 山ほととぎす 初鰹
この句があるだけで、この時期に食べる理由があるかなぁ。と思います。



ちなみにトップの写真は、
Happyばあばの優しい時間
というブログから拝借いたしました。 

お花や風景の素敵な写真が盛りだくさん。
優しい気持ちになれる素敵なブログです。 

at 11:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)歳時記 

2009年05月26日

「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」 by ロベルト・バッジオ

ロベルト・バッジョ「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」
           by ロベルト・バッジオ


またまた登場、バッジオ様のありがた〜いお言葉。

94年アメリカワールドカップの決勝で実際にPKを失敗しているだけに、負け惜しみ?とも取られかねないお言葉です。
でも、決勝戦まで勝ち進んだのは、バッジオの活躍あってのことなわけで・・・。

当たり前と言えば、当たり前ですんでしまうお言葉です。
しかし、ピッチに11人の国を代表する選手がいるわけで。 そのなかには蹴らせてもらえない人、断る人などさまざま。

自分で結果を引き受ける覚悟をする。
結果を引き受けるときに、一歩踏み出すときに、ちょっとだけ力を貸してくれる言葉だなぁ。と思います。 

PKなんて時の運。
覚悟を決めてはずしちゃったら?
「みんな、ごめん・・・。」
って言うしかないんじゃないかなぁ。

たとえワールドカップの決勝であっても。
PKをはずしても責められないくらい、頑張ってやったらいい。



前回のロベルト・バッジオ様のお言葉はこちら
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
今を戦えない者に、次や未来を語る資格はない。 

at 18:51|PermalinkComments(2)TrackBack(0)名言 

2009年05月25日

欧州の黄昏

マルディーニヨーロッパの黄昏
なんて大層なタイトルですが、欧州サッカーシーズンもまもなく終了。
というどうでもいいような意味です。

でも、私の中ではこれから8月中旬までヨーロッパは、文字通り輝きを失います。

今週水曜深夜のチャンイオンズリーグ決勝がメインレースとすれば、週末のセリエA最終節・FA杯決勝などは最終レース。
もう夕方で宴も終わりっ!って感じです。


ちなみに左の写真はパオロ・マルディーニ。
16歳でACミランのトップチームにデビューしてから24年間もスタメンを守り続けた生きる伝説です。人間的にも素晴らしい人のようです。
語り継がれるマルディーニもついに今シーズンで引退。

5/24のACミランvsASローマは、ホームサンシーロスタジアムの最終戦でした。
残念ながら、マルディーニのミスから失点してしまいましたし、勝利で飾ることができず、2-3で敗戦。
スタジアムはマルディーニの引退を惜しむ人でいっぱいで、心温まるようなもの寂しげな雰囲気でした。

セリエA最終節に出場するなら、最終節も見る価値あるかなぁ。と思います。


マルディーニのようにひとつのチームで、ユースから引退までサポーターに愛されて、惜しまれつつ引退する選手は今後どれくらいいるでしょうか?
「ラウルやギグスにはその資格があるのかなぁ」
「でもマルディーニと比べたらどうかなぁ」
など例年より想いの深いシーズンオフを迎えそうです。
 
ニューカッスルも降格しちゃったし・・・。
アラン・スミスってどうしちゃったんでしょう?
リーズのころはバリバリだったのに・・・。
さみしかぁ。。。 

at 19:14|PermalinkComments(0)TrackBack(0)どうでもいいですよ 

2009年05月22日

景気判断を上方修正?

「大幅に悪化している」から「悪化を続けている」に景気判断を上方修正!

って結局は悪化しているんですよね??
不思議な日本語です。

「昔もこんな言い方をしていたのかなぁ?」
とふと思いましたが、NHKとかも同じような表現を使っているので、間違えた日本語ではないのかな??

「4〜6月期はプラス成長もありうる。」
っていう記事を以前読んだ気がするので、もっと良いように上方修正したのかと思いました。 


11月くらいから2月くらいまでは景気の悪さにマジでビビッてましたが、最近は
「俺にはあんまり関係ないかも」
と思えてきました。
景気が良いときも関係なかったし。景気が悪いときだけ関係あるってヒドイですよね〜
だから、「関係ない」って言い張るんです!

世の中が不景気じゃないと出来ないことがきっとあるはず。 

自分はまだまだ、やっていないこと、出来ないこと、知らないことがてんこ盛りです。
いまだからこそ出来る、何か楽しいことをみんなでやって、1年後には派手に打ち上げをやりましょう!

不景気でみんなネガティブだと、私のネガティブっぷりが隠れてちょうど良い?


外貨預金の目減りだけはどうにかならんかなぁ。。。 

at 18:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)ニュースネタ